津田健次郎の両親や兄弟・学歴は?帰国子女で中学・高校・大学時代は?

津田健次郎

明石の白猫さん。です

2020年3月30日スタート NHK朝ドラ・連続テレビ小説「エール

語り・ナレーションは人気声優のツダケンこと、津田健次郎さんに決定しました。

  • 津田健次郎さんって帰国子女なの?
  • 津田健次郎さんの父親・母親はどんな人?
  • 兄弟はいる?
  • 影響を受けた伯父さんって?
  • 帰国子女なの?
  • 学歴は?中学生・高校生・大学生時代はどんな感じ?

津田健次郎さんについていろいろな疑問が浮かんできたので、調べてみました。

※写真はasahi.comよりお借りしました。

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津田健次郎さんは帰国子女?

津田健次郎さんは、1歳頃から小学校2年生までをインドネシアで過ごし、ジャカルタの日本人学校へ通い、小学校2年生で日本(大阪)へ帰国しました。

当時はインドネシア語も話していたらしいですが、インドネシア語は今となっては「おぼえていない」そうですよ。

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お父さんはどんな人?

津田健次郎さんの父親は1972年(津田健次郎さんが生まれた翌年)に、仕事の都合でインドネシア・ジャカルタに赴任しました。

お仕事では大きい企業の駐在さんか何かをなさってたのでしょうか?

私にもジャカルタへ赴任している知人がいるのですが、向こうでは広々とした部屋に住み、各家庭にメイドさんを雇うのが普通なんだと聞いて、たいそう驚きました。

津田健次郎さんがジャカルタに住んでいた頃は、今とは時代が違うのかどうかわかりません。

しかし、おそらくそのような恵まれた環境で成長していかれたのかなぁと勝手に想像しています。

津田健次郎さんは、子どものときにお父さんによくプラモデルを買ってもらっていたとラジオでお話されていました。

きっとお優しいお父さんなのでしょうね。

お母さんは美人で元女優?

津田健次郎さんの母親は、(というよりもご両親揃って?)どちらかといえば放任主義だったと津田健次郎さんは語っています。

東京の大学に行くって言ったときも母に「ふーん、そう。好きにしたらええやん」って言われたような記憶が。

大学3年のときに演劇の養成所に入って忙しくなって勝手に休学しまして。

事後報告になったんですけど、そのときも母は「しょうがないね」って(笑)

出典:ライブドアニュース

しかしお母さんは、津田健次郎さんが売れていなかった30歳くらいまでの間、ダンボールに食料品を詰めて送ってくれていたのですって。

内心では我が子の事をいつも思っておられたのでしょうね。

そのお母さんですが「かなりの美人でハキハキとお話をする明るい女性で、元女優」だったという証言があがっております。

ある時期には「黒と赤の服しか着ない」というポリシーのもと、津田健次郎さんの舞台を観に来ていたときも大変目立っていたとか(笑)

映画好きに育ったのもお母さん譲りのようですね。

津田健次郎
出典:asahi.com

津田健次郎さんに兄弟はいる?

津田健次郎さんには2歳年上のお兄さんがいることがわかっています。

幼少期を過ごしたインドネシア・ジャカルタの時代も、お兄さんはプール、津田健次郎さんは映画館によく行っていました。

どうやらお兄さんは、映画にはあまり興味がなかったようですね。

一方、津田健次郎さんは日本のヒーローものや、ハリウッド映画を観ていたそうです。

当時のジャカルタにまだ娯楽施設というのは少なく、数少ない娯楽である映画の世界に引き込まれていったのでしょうね。

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影響を受けた父方の伯父さんとは?

津田健次郎さんは、おじさんについての話題が時々出てきます。

家が大阪の難波の近くだったので映画館が近かったことと、叔父のおかげで株主優待の映画チケットがよく手に入ったんです。

子どもからすれば、やったー!って感じですよね(笑)日本でもよく映画館に行っていました

出典:ライブドアニュース

伯父さんは、映画館またはその関連の株主だったという事でしょうか?

幼少時代から、映画を観る環境を整えてもらっていたという感じがしますね。

伯父はケーキを持ってやってきて、僕を映画に連れて行ってくれたんです。

そのうち伯父からチケットをもらって1人でも行けるようになって、たくさん見ました。

それが表現の世界に興味を持つ大きなきっかけのひとつになったと思います。

最初は監督や作る方に憧れて、それから役者を始めて。伯父の影響も大きかったのかもしれませんね。

出典:https://www.asahi-mullion.com

伯父さんは、よくスキーに連れていってくれたりと面倒見のよい方だったそうですが、現在は残念ながらお亡くなりになっています。

子どもの頃から映画館に親しむ環境というのは、周りの大人の影響が大だと思います。

津田健次郎さん、とても周囲の大人に恵まれて映画に触れる機会を作って頂いてたのですね。

中学生時代

津田健次郎さんは、大阪の明星中学校・高等学校に進学しました。

明星学園といえば、中高一貫教育の男子校で、ミッションスクールですね。

中学時代は軟式テニス部に所属していました。

現在でも映画関係者達とテニスチームを作り、時々テニス合宿もしているとの事です。

冒険が好きなんですよね。中学生の頃、友だちと自転車で大阪から高知まで寝袋とお金だけを持って出かけたり

出典:ライブドアニュース

津田健次郎さんの1番仲の良い友だちは、落語を50席くらい話せる変わったお友達でした。

そして当時は邦楽のバンドブームだった中、津田健次郎さんはボブ・ディランのファンだったとか。

なんだか変わり者の2人は、意気投合したのでしょうね。

中学くらいからひとりで映画館、名画座みたいなところに通っていたので。

大阪の心斎橋に戎橋というのがありますが、そのたもとに映画館があって、そこで古い映画を観て。

洋画の古いの……チャップリンとかジェームス・ディーンとか、オードリー・ヘップバーンとか。

出典:girls-style

当時の津田健次郎さんは、学校は楽しい一方で、そこでは埋まらないもの、暗さみたいなものや生きることへの違和感、社会との距離を感じていました。

そんな想いを埋めてくれるもの・・・それが映画だったのだと思います。

津田健次郎

出典:animatetimes.com

高校生時代

明星高等学校高校の時に、津田健次郎さんは生徒会長になっています。

生徒会長になった理由は、目立ちたかった事、女の子にモテたかったからだとラジオ番組で明かしていました。

「僕は中高と男子校で、灰色の青春だったものですから、青春を謳歌してみたいです。高校時代をやり直せたら素敵だと思います」

出典:パッシュプラス

そんな津田健次郎さんは、映画関連の大学へと進むことを決め、猛勉強して明治大学へ合格し、大阪から上京しました。

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明治大学時代

津田健次郎さんは、明治大学文学部文学科で演劇学を専攻していました。

演じるほうはまったく興味なかったですね。

大学は文学部の演劇専攻だったんですが、最初は映画を作りたくて入ったんです。

映画専攻の科がある大学って当時はすごく少なくて、わりと安易に明治大学の演劇学専攻を選びましたね

出典:girls-style

大学1年のときは夏休みを利用して1か月間、バックパックを背負ってエジプトへ行ったそうですよ。

過去のインタビューによると大学2年までは撮りたい映画のビジョンが思い浮かばず、あまり通学もせず不真面目な大学生活を送っていたと話していましたね。

そんな津田健次郎さんは、明治大学3年のときに演劇の養成所に入ると多忙になって、一時は大学を休学してまで演じる事にのめり込んでいったのは有名な話です。

映画なのに、台本が全く書けなくて。書けないから撮れない。

そんな時、気の迷いですよね、撮れないなら出てみる?という感じで劇団の養成所を受けました。そしたら、受かってしまって。

受かったからには舞台の稽古に参加しようと。その稽古がすごかった。とても面白かったんですね

出典:https://www.asahi.com/

このときの養成所というのは「円・演劇研究所」の事です。

現在は橋爪功さんが代表を務め、多くの俳優を輩出している有名な養成所ですね。

津田健次郎
出典:tsudaken.com

養成所でお芝居をやり始めると、これがビックリするくらい面白くて。

舞台上で嘘をついてはならないというリアリティの表現や感情表現が、ビックリするくらいハードルが高くて難しいんです。

そこで逆に火がついちゃったんですね、意味がわからんから、わかりたいと。

出典:girls-style

のちに津田健次郎さんは、「演劇の中で人の言葉、役の言葉を借りれば、いくらでも自分の持つネガティブな衝動や感性も表に出せる」と述べています

2年通って、本当は円に入りたかったんですけど、入れてくれなかったんで外へ。

舞台系の小さな事務所に潜り込みました。円にどうしても入りたかったんだけどなぁ(笑)

津田健次郎さんはその後、舞台や俳優業を続けていく中でアニメの声優のオーディションへ合格し、実力と経験を積み、今やアニメを始め、声優業界でなくてはならない存在ある声優さんへと大成功を収めました。

そんな津田健次郎さんが、2020年3月30日スタート NHK連続テレビ小説「エール」で語りを努めます。

どんなナレーションを聞かせてもらえるか、今から楽しみですね。

津田健次郎プロフィール

津田健次郎
  • 本名:津田健次郎
  • 生年月日:1971年6月11日
  • 血液型:O型
  • 身長:170センチ
  • 体重:53キロ
  • 出身地:大阪府
  • ニックネーム:ツダケン、つんちょ、ケン坊
  • 趣味・特技:カメラ、バイク
  • 所属事務所:アミュレート

1995年にテレビアニメ「H2」で声優デビュー。アニメや洋画の吹き替え、ナレーション、ラジオパーソナリティーとして活動。

近年は役者業以外にも映像監督、舞台演出なども手掛けている。

エール

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津田健次郎

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津田健次郎の両親や兄弟・学歴は?帰国子女で中学・高校・大学時代は?まとめ

  • 父親の仕事の都合で小学校低学年までインドネシア・ジャカルタで育つ
  • 母親はハキハキと明るい美人で元女優
  • 映画好きはお母さんの影響
  • 2つ上のお兄さんがいる
  • 父方の伯父さんからも大きな影響を受ける
  • 学生時代は生徒会長であった一方、周囲の同年代と同じ事に興味を持てなかった
  • 自分のネガティブな感情を埋めてくれたのが映画であり、演じる楽しさへと繋がった。

津田健次郎さんがナレーション・NHK連続テレビ小説「エール」で、どんな語りを聞かせてもらえるのか、楽しみで仕方ないです。

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