NHKドラマ「心の傷を癒すということ」精神科医・安克昌「ガン患者にとって辛い2つのこと」

安克昌先生

明石の白猫さん。です

阪神淡路大震災の被災者を支えた精神科医・安 克昌(あん かつまさ)さん(故人)をモデルにしたお話が2020年1月スタートのNHKドラマになりました。

タイトルは「心の傷を癒やすということ

安 克昌さんはどのような闘病生活を送り余生を過ごされたのか、また安克昌先生が遺した「癌患者にとって辛い2つのこと」という言葉が、身内にがん患者のいる私にとって心を揺さぶられました。

安 克昌(あん かつまさ)

精神科医・1960年大阪市生まれ。神戸大学医学部卒業。

兵庫県立尼崎病院、湊川病院、神戸大学附属病院精神科勤務などを経て、神戸市西市民病院精神神経科医長を務める。

阪神・淡路大震災直後より全国から集まった精神科ボランティアをコーディネートし、避難所などでカウンセリングや診療活動を行い、「被災地のカルテ」と題し産経新聞夕刊に約1年にわたり連載した。

震災一年後に臨床報告としてまとめた「心の傷を癒すということ~神 戸・・・365 日~」で第18回サントリー学芸賞を受賞。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)の若き研究者として治療活動に尽力するも、2000年12月肝細胞癌のため39歳で死去。

スポンサーリンク

安 克昌(あん かつまさ)さん肝細胞癌の闘病と、最期の様子

安克昌先生は、阪神淡路大震災の被災地・神戸の街で、精神科医として被災者の心の傷を癒すということにも尽力なさっていました。

そんな中、安克昌さんの奥様が3人目のお子さんを妊娠中に、安克昌さんに肝細胞癌が見つかり、すでに末期だったということです。

安克昌さんは、入院を最小限に抑えて代替療法を受けながら、奥様と2人のお子さんと、間もなく生まれてくる赤ちゃんと共に自宅で余生をお過ごしになられました。

具合が悪い中でも、命の限りは家族と一緒に過ごしたい。3人目のお子さまが生まれるまでは何とか、という思いがあったそうです。

出産の日が近づき、ご自宅でいよいよ産気づいた奥さんを産院に送り出したあと、タクシーで安克昌さんご自身も闘病していた病院に向かいました。ご自身がお辛い中、ギリギリの限界まで奥さんと生まれてくる子のためにそばにいてくださったのですね。

新生児

2日後に安克昌さんは39歳の若さでこの世を去りました。最期を看取った母親に、「頼む」と、託したそうです。お母さまは「立派な死でした。あんなみごとな死はありません」とおっしゃいました。

最期まで尊敬すべき生き方だった安克昌先生です。

スポンサーリンク

安 克昌(あん かつまさ)さんの言葉・ガン患者にとって辛い2つのこと

安克昌さんは「ガン患者には2つの辛いことがある」、とおっしゃったそうです。

死を覚悟したあとに治癒の可能性がある治療法を示されること

安克昌さんはご友人の医師「名越康文先生」に打ち明けました。

死を覚悟したあとに「こんな治療法があるよ」と示されるのが辛いとおっしゃったそうです。

理由

  • その言葉によってやっと平穏になった心がまた揺れるから。
  • 心が揺れるというのは欲が出る、そして怒りも出てくる、それが辛い。

これは実際に末期ガンを経験された人じゃないと気が付かないことだと思いました。

欲や怒りという感情と、死を覚悟した平穏な状態とは両極にあるものなんだと気が付きました。

怒りも欲も「生きる」ことへ向かうベクトルであり、死を覚悟した人間にとっては辛いことであるのだと。

スポンサーリンク

周囲の世界と自分との間にフィルターがかかる瞬間があり、それが辛い

安克昌さんのご友人の医師「名越康文先生」のお話によると、例えば周囲の人や医療従事者が「この人、もう死ぬんだな」とわかった瞬間、妙に優しくなること。

その人に対して「ツッコミ」がきかなくなる。会話をしていてもどこか話を早く済まそうとしてしまうような空気が生まれること。

そういう空気の中でがん患者さんは、周囲の世界との間にベールのような壁を感じるようになり、そのフィルターがかかる瞬間が辛いと伝えたそうです。


この2つは相反する事であるがガン患者には同時に起こっている

名越康文先生は講義でこうおっしゃっていました。

「この2つって、頭で考えると矛盾してますよね。一方では、死への覚悟を揺さぶられたくないといい、もう一方では、生者と死者の間に「びしっ」と線を引かれることへの疎外感がある。

でも、臨床的には、その2つが同時に起きている。僕がクライアントさんと会う時に心に留めるのも、やはりその2つです。」

この心情は、末期がん等のご病気により、死を覚悟した経験がないと気が付かない心情だと思いました。私は医学の本には書かれていない事を教わったような気がしました。

nhk

NHKドラマ「心の傷を癒すということ」在日韓国人の安克昌(あん かつまさ)先生の性格や死因は?

精神科医・安克昌さんの最期の闘病生活や、遺された言葉「ガン患者にとって辛い2つのこと」のまとめ

安克昌先生の遺された言葉や著書は、阪神淡路大震災のあとも頻繁に起こるようになった災害の被災地で、多くの医療従事者や関係者に読まれて今も語り継がれています。

特に遺された言葉「ガン患者にとって辛い2つのこと」は、私自身、家族にガン患者がいていろんな治療法や、代替療法にばかり目が向いていましたが、心情にまでは寄り添っていなかったな、と思い知らされました。

安克昌先生から大切な事を教わったと思っています。ありがとうございました。

安克昌先生、本当に無念だったと思います。まだまだ大切なご家族のために、そして患者さんのために尽力したかったと思います。

スポンサーリンク

3 件のコメント

  • 彼とは1980年韓国のYonsei大学に語学留学に来られた時同じ夏を過ごした。僕は上智の学生で彼は1つ下の神戸大の医学部生で当時から精神科医になりたいと言っていた。同じ在日で同じ悩みを抱えてお互い短いながらお互い在日の友人もなかったせいか直ぐに仲良くなり毎日非常に楽しく濃い時間を過ごした。グッチャンという韓国名で呼んだのは僕が初めてだと言っていた。。一つ差だったが先輩風を吹かして授業の後よく連れ出して遊び回った。いつか連絡とりたいと思いながら自分の怠惰に任せ帰国後、音信不通になってしまった。人生60になり人生の棚卸しを考えた昨今、このドラマの事を知り彼がもう20年も前に亡くなった事がわかった。ドラマで見るアンくんは当時そのままの雰囲気で立っていた。後悔先に立たず、という言葉があるがなんで留学後連絡を取らなかったのかを凄く悔やんでいる。若い頃は先ばかりを見て中々後ろを振り返らない、と言うのは言い訳に過ぎないだろう。。今更ながら惜しい友人を亡くしたと感じる。
    心から改めてかれのご冥福を祈りたいと共に3名いらっしゃるという彼のお子さんたちに彼の20歳の夏は悩みながら韓国人としての誇りを持った素晴らしい時間を過ごしたとお伝えしたい。。

    • 1985年からソウルに在住する日本人です。ドラマを見て感銘を受け、韓国で紹介したいと考えています。1980年当時「グッチャン」と韓国式に呼ばれていたという箇所が気になりました。ご本人は韓国でそう呼ばれたかったのではないかと感じたのです。つまり、お名前をハングルで表記するとき「カツマサ」ではなく、韓国式に「グッチャン」表記した方がいいのではないかとふと思ったのです。濃い時間を過ごされた韓さんであれば、そのあたりのコメントをいただけるのではないかと思いました。(コメントというより質問です)

    • 貴重なコメントを頂きありがとうございます。韓国の語学留学で安克昌先生と同じ時をお過ごしになられたとは、当時の安先生を知る貴重なお方からのコメント、本当にありがたく読ませて頂きました。
      私自身も震災を経験しましたが、安先生の事はこのドラマをきっかけに知る事になって興味を持ち、調べさせて頂きました。災害が多い日本において、少しでも多くの方や医療従事者の方に安先生の言葉が
      伝わると良いなぁという思いで記事にさせて頂きました。韓様の若かりし日の貴重な安先生との思い出やご様子が安先生のご家族の方へと伝わりますようにと、心よりお祈り申し上げます。貴重な思い出話を
      お聞かせ下さった事に心より感謝いたします。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です